三原響子が死刑執行の前に口にした「約束は守ったよ、褒めて」の約束とは?
「教誨」は冒頭に出てくる「この約束って何ぞや?」を考えながら読み進めていくことになると思います。
で、この約束がわかるのが298ページ。
単行本が317ページまでありますから、本当に最後の最後で、誰とどんな約束をしたのかがわかります。
三原響子が死刑執行の前にした約束のことや、あらすじなどを書きたいと思います。
教誨(きょうかい)とは
教誨は、「きょうかい」と読みます。
「教誨」という言葉になじみがなく、わたしは読めませんでしたけど。
「教誨」とは、教えさとすことです。
一般的に「教誨」という言葉は、刑務所や少年院で受刑者に対して正しい道を歩むように教えさとすことに使われます。
「教誨」とセットで出てくるのが「教誨師(きょうかいし)」です。
「教誨師」は、刑務所や少年院での受刑者への教育をおこなう人です。
「教誨師」は、諸宗教の聖職者がボランティアで任に当たることが多いそうです。
本書では、光圓寺(こうえんじ)の住職、下間将人(しもま まさと)が「教誨師」をしています。
下間住職は、生前の三原響子(みはら きょうこ)の力になってくれましたし、響子の死後、吉沢香純(よしざわ かすみ)の力になってくれました。
あらすじ
吉沢香純(よしざわ かすみ)が、三原響子(みはら きょうこ)の遺骨と遺品を受け取るところから物語は始まります。
吉沢香純と三原響子はお互いのおじいちゃんが兄弟で、香純が小学校3年生のときに15歳の響子と一度だけ話したことがありました。
三原響子は自分の子供と近所の子を殺害し死刑になりました。
「教誨」の大筋は、死刑執行の前に三原響子が言った「約束は守った」という言葉の意味を知るために、転職前で時間があるタイミングばっちりな吉沢香純が生前の三原響子の人生を知っていくというものです。
最後まで、誰とした何の約束なのかがわかりません。
なので、「誰との約束」「何の約束?」と推理をしながら読み進めていくことになると思います。
この「約束とは何ぞや?」を考えながら読み進めていくことが、「教誨」の一番の見どころだと思いました。
感想
吉沢香純が知っていく三原響子の人生はひどいものでした。
というか、三原響子のお母さん、千枝子さんの時代からひどい。
「どこの国の、どこの時代の話やねん」と思うほどにひどい。
男尊女卑がこれほど当てはまる母娘もいないというほど、ひどい扱いを受け続けた人生でした。
しかも、そのひどい扱いは死んでからも続いていて、千枝子さんの墓石は河原で拾ってきた適当な石ころですし、響子さんの遺骨は受取拒否されています。
千枝子さんと響子さんが生きていたときは「三原の家にお前らの居場所はない」というスタンスで、ふたりが死んだら「三原の墓にお前らを入れない」というスタンスです。
ひどい扱いを受けたからといって、殺人が正当化されるわけではありません。
どこまで行っても一番かわいそうなのは、殺されてしまった子どもたちです。
ただやっぱり割り切れません。「何とかならなかったのか?」などと考えてしまいます。
いやだって、自分が大切にしていたものを壊してしまうほど追いつめられて、でも、その瞬間の記憶がなくて、壊してしまった事実だけで死刑にまっしぐらとかってもう地獄です。
結局、響子さんの我慢し続けた人生が、まったく幸せではない人生を「これが幸せなのだ」と勘違いさせたのがダメだったんだと思います。
そんな間違った狭い世界にいる響子さんは、助けてくれる人と知り合えても、助けを求めることすら選択肢に入らなかったんでしょうね。
そして、限られた選択肢の中でしばらく我慢していた響子さんは、助けを求めることすら忘れていたのかもしれません。
助けを求めることすら忘れてしまうとか、ものすごく悲しいことだと思います。
「痛い」「苦しい」「ヤバい」と感じたら、尻尾をまいて逃げることの大切さを痛感させられます。
「逃げても大丈夫」という選択肢があることは、ものすごくぜいたくなことで、ありがたいポジションにいることなんですよね。
そんなポジションにいられることを、「感謝して生きていかないといけないな」と考えさせられました。
大杉漣さんが主演した映画「教誨師」
2018年に公開された映画です。
主演の大杉漣さんは2018年の2月に急逝されており、映画「教誨師」は、大杉漣さんの最後の主演作で初プロデュース作品です。
映画の内容は、6人の死刑囚と対話する教誨師の大杉漣さんを描いた人間ドラマです。
感想
予告を見ただけですが、大量殺人事件を起こした自己中心的な性格の青年、高宮真司(玉置玲央)さんとのやり取りを見て、「あぁ、大杉漣さんの演技はこんなだったな」と思いました。
大杉漣さんはぐるナイのゴチで2回連続でピタリ賞を出した印象が強すぎて、大杉漣さんの演技を忘れかけていました。なので、予告だけですが見れて良かったです。
秋田児童連続殺人事件
2006年に秋田県藤里町で起きた児童連続殺人事件です。
畠山鈴香受刑者が、自分の子供と近所に住む子供を殺害しました。
畠山鈴香受刑者は、2009年に無期懲役が確定しており、現在も服役中です。
「秋田児童連続殺人事件」で検索すると、事件に関係するさまざまなことがわかります。
本作「教誨」は「秋田児童連続殺人事件」と共通していることが多く、小説「教誨」は「『秋田児童連続殺人事件』をモチーフにしたのでは?」と言われるのがわかりました。
響子が死刑執行の前に口にした約束とは?
三原響子が死刑執行の前に口にした「約束は守ったよ、褒めて」の約束とは、「いまの話を誰にも言うな」という約束でした。
誰との約束?
いまの話とは、何ぞや?
この2点を書きます。
誰との約束ですが、母の千枝子さんとの約束です。
いまの話とは、千枝子さんがポツリと漏らした以下の言葉です。
あの子がいなかったら、あんたもこんなに苦しまなかったのかね。愛理もあんたも辛いね。可哀そうだね――
第五章 294ページから
かげろう橋で「帰りたくない」と駄々をこねる響子の娘、愛理ちゃんを見ながら、千枝子さんが響子さんに言った言葉です。
この言葉だけを見ると、「愛理ちゃんなんていなきゃいいのに」みたいな感じにとれますが、千枝子さんにそんなつもりはありませんでした。
自分も響子さんも体調が最悪の状態で、お先真っ暗の悲観と絶望と失意の中、「帰りたくない」とかんしゃくを起こしている孫が自分と響子さんに石をぶつけてきている。そんな状況下で、千枝子さんが娘と孫の辛そうな姿を見て漏らしてしまった何気ない一言でした。
響子さんは、この一言を間違った形で受け取り、愛理ちゃんを殺害してしまったのです。
また、「いまの話」を誰にも言ってはいけないと響子さんに約束させた千枝子さんは、自分の言った一言のせいで娘が殺人者になってしまったと話しています。
なのに、どうして娘をかばってあげなかったのか?
千枝子さんは自分の立場が悪くなるから、響子さんに口止めしたんじゃないのか?
なんて思ってしまいますが、違います。
千枝子さんは、二人も殺した響子さんが生きて帰ってくることはないと考えました。
響子さんが死んだあと、響子さんを自分と同じ墓に入れるために「いまの話を誰にもしてはいけない」と響子さんに約束させたのです。
一緒のお墓にぐらい入れそうなんですけどね。
そうさせないのが閉ざされた田舎の怖いところです。
三原の本家は響子さんの遺骨を受取拒否ですし、千枝子さんの遺骨は本家のお墓には入れてもらえていません。
なぜこんなことが可能なのかというと、三原の本家の近所に住んでいる人たちのプレッシャーです。
マスコミのせいで嫌な思いをした人たちの圧力が、響子さんと千枝子さんが故郷に眠ることを許しません。
千枝子さんは、北国の二つの小さな町しか知らなくて、この二つの土地が千枝子さんの世界のすべてでした。
千枝子さんにとって、地元を追い出されることは帰る場所を失うことで、それは同時に響子さんが帰る場所もなくなるということにつながります。
だから、千枝子さんは響子さんに「いまの話を誰にも言わないように」と約束させたのでした。
感想
約束の謎が解けて「そんな理由かい」と思いましたけど、「そんな理由」がかなえられていません。
千枝子さんにとって、響子さんとの約束は、とてつもなくハードルが高いギャンブルのようなものだったのでしょう。
千枝子さんの人生は周りにいる鬼のせいで、地獄へと続く一本の橋を渡っているようだったのに、その鬼を信用しなければ娘と一緒のお墓に入ることができない、とかありえません。
自分が死んだ後のことなんて周りにいる人を頼るしかないのに周りには鬼しかいないとか、安心して死ねませんよ。
正直、千枝子さんは「娘と一緒の墓に入るのは無理だろうな」と思っていたのかもしれません。
千枝子さんは吉沢家に「響子の面会に行ってやってくれ」と一度だけ電話をしていますが、千枝子さんの最後の希望が吉沢家だったのかもしれませんね。
そのかいあってか、暇を持て余していた吉沢香純さんのおかげで「響子さんも千枝子さんも少しは救われたのかな?」という、エンディングでした。
「教誨」は重い話ですが、サクサク読み進めることができますので、機会があったらぜひ読んでみてください。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。