ドネルは誰だったの?
「旅のラゴス」を読み終えて感じるのは、「ドネルって誰だったの?」ということ。
「ドネル誰」は、「あらすじ」よりも、「『旅のラゴス』をジブリがアニメ化するの?」という、うわさ話よりも、強い。
「旅のラゴス」は、「結局、ドネルって誰だったの?」だと思うのです。
ドネルって誰よ?
「結局、ドネルって誰だったの?」という前に、「ドネルって誰よ?」「ドネル!? そんな人いたっけ?」な方に、簡単に補足。
ドネルは「旅のラゴス」最後の章の「氷の女王」に出てくるキャラクターです。
また、それまでの人生でさまざまな人たちと交流してきたラゴスさんが、本書に書かれている中で、最後に交流するキャラクターです。
にもかかわらず、
コイツ見たことあるんだけど、誰だっけな?
で物語が終わります。
だから、「結局、ドネルって誰だったの?」になるんですよね。
ドネルはヨーマか?
検索すると「ドネルはヨーマだよね」という意見が多いです。
じゃあ、「ドネルはヨーマか?」
違うと思います。
ヨーマは背が高い
ヨーマというキャラクターは「解放された男」という章で初めて登場します。そのときにラゴスさんは、ヨーマのことを「背が高く骨細の二十歳前後の若者」と形容しています。
「赤い蝶」の章では、ラゴスさんは25年ぶりに「ヨーマという、背の高いあばれ者どうした?」とヨーマのことを形容します。
「ヨーマ=背が高い」という印象が焼き付いているから、25年ぶりでも「背が高いヨーマ」という表現が自然に出たと思うんですよね。
しかし、ラゴスさんがドネルに初めて会ったときに「彼の顔には見覚えがある。はるか昔に南の国のどこかで逢っているかもしれない」と言っているだけです。「背が高い」とは一言も言っていません。
「背が高い彼の顔には見覚えがある」ぐらいあってもいいのでは? と思うのですが……どうでしょ?
ヨーマは見えすぎるくらい見えたはず
シュミロッカのボルテツが「あくまでうわさ話だけど、ヨーマは山賊の頭目になっている」と「赤い蝶」の章でラゴスさんに話します。
それを聞いたラゴスさんは、「ヨーマには頭目になることができる腕力があるし、頭もいい。人と同化する力もあるから、手下の反抗をゆるさない。その頭目はヨーマだろう」と話します。
「人と同化する力って何ぞや?」という話ですが、人の心が見えすぎるくらい見えることのようです。
ラゴスさんとドネルが初めて会ったときに、ドネルが「どこかで、会いましたっけ?」とラゴスさんにたずねますが、人の心が見えすぎるくらい見える力を持っていたら「お前、ラゴスだな! 何しに来やがった!?」ぐらいあると思うのですが……どうでしょ?
ヨーマは山賊だったはず
うわさ話ですが、ヨーマは山賊の頭目だったはず。
山賊の頭目をしながら、あっちこっちに旅なんぞできませんよね?
しかし、ドネルの話を聞いたラゴスさんが「ドネルは驚くほどあちこちへ旅をしていた」「わたしが言ったところと重なっていたことも」と感じています。
「山賊は早々に廃業して旅に出たんじゃね?」と考えることもできますが、人の心が見えすぎるくらい見える山賊がラゴスさんも驚く旅人にならないと思うのですが……どうでしょ?
結局、ドネルって誰だったの?
「結局、ドネルって誰だったの?」という話。
結局、誰でもなかったと思います。
ラゴスさんが旅の途中ですれ違った、ただの人。
食事中に隣の席にいたとか、泊った宿屋の大部屋にいたとか。
「氷の女王=デーデ」で、デーデにゆかりがあるラゴスさんとヨーマを最後に出会わせる。
わだかまりがあった二人だけど……。
本当は二人とも気づいていたけど……。
そんなことは、どうでもいいくらいの道を歩き、年を重ねてきた
みたいな、ドラマチックもありだとは思うのですが……ドネルはヨーマじゃないと思います。
どうでしょ?
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。